枯れない花束-押し花革ができるまでの物語-|革製品
花束を革に閉じ込めたい
「大切な人に花束を贈るように、革に花を閉じ込めることができたらどんなに素敵だろう。それはずっと枯れないし、眺めるだけじゃない。いつだって側にいて、一緒にお出かけできる。そんな革小物。」
女性革作家の上川さん
大切な人に贈る花束を、革に閉じ込めたいと思って試行錯誤しているときに出会ったのが、革作家の上川さんでした。
「押花をたくさん取り寄せたり、自分で作ってみたり・・でも難しくて。花びらが欠けたり、時間がものすごくかかったり、すぐに動いて配置がうまくいかなかったり。心折れかけていたとき、エーテルから、”押し花革をやってみないか”と声がかかりました。その時に、まだあきらめないって決めたんです。」と、上川さん。
新しい素材づくりとして、花束を革に落とし込めたら・・と思っていたときに、ちょうどエーテルから押し花革の話が舞い込んだんだそう。
浅草のアトリエ
彼女のアトリエは、浅草の隅田川沿いにあります。浅草は江戸時代から革産業が発達し、世界でもその卓越した技術を誇る街。そのアトリエからは墨田川のせせらぎが聞こえてきて、水面がきらきらと輝き、ゆっくりとした時間が流れています。
時間をかけてつくる
押し花の革は、このアトリエで、パンジーやカスミソウなどの花を、ひとつひとつ手で置いて作っています。ひとつひとつ、花を置いていきますから、とっても時間がかかります。正直、生産性も低いです。でもあえて、この革を作ります。
「ものづくりの原点って、お金儲けじゃないと思うんですね。いいものを作りたい。美しいものを形にしたい。大切な人のために役に立ちたい。そういう気持ちだと思うんです。でも日本は特に、アートや革産業への理解が薄いように感じます。 押し花革も、生産性に劣るのであきらめかけていたら、エーテルから一緒にやりませんか?と言われて。絶対に形にしようと思いました。」
革作家になったきっかけ
上川さんが革作家になったのは、およそ5年前。美術大学の油学科を卒業後、大手企業の革靴ブランドのデザイナーとして働いていました。 「企業に入っているときは、良い悪いではなく、売れる商品を作らないといけなかった。でも売れる商品作りではなくて、自分が描きたい、作りたいと思ったものを形にしたいと思っていました。」 そんなことを思っていたとき、転機が訪れます。お子さんの出産。そして息子さんが一歳になったとき、記念に子供用の革靴を作りました。
これが評判を呼び、ポップアップ店などの声がかかるようになっていきます。「嬉しかったです。商売は関係なく、大切な人を思って作ったものが、たくさんの方に共感されていって。ものづくりの楽しさを、改めて感じました。」 それから、自分の描きたいと思ったものを、革に閉じ込めるようになり、会社を退職。自然と革作家となっていきます。 「美しい、良い、と思ったものを、素直に革に落とし込めたのは、作家になってからですね。」
原点を大切にしたい
作るものに、想いをのせる。大切な人のために作るように、ひとつひとつ時間をかける。彼女の作るものに心が動くのは、こういう原点があるから。 「絵や彫刻は、飾って眺めるものだけど、靴やお財布は、一緒に出かけたり、旅したり出来るじゃないですか。大切な人を想うように、いつも側にいて、使ってくれる方が笑顔になるものづくりがしたい。その気持ちが、私の原点です。」